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現在、私が企画実行しているオーディションに
たくさんの方が応募してくださっております。
ありがとうございます。また、お問合せも色々あるようですね。
例えば、「合格したら仕事に繋がるのか?」というようなもの。
少なくとも本オーディションは、会社の就職試験のように、
採用されたら仕事が与えられて、給料が出るというようなものではありません。
そのような決まったギャラが欲しいのであれば、ピアノのあるレストランなどで
時給~円で働くことをお薦めします。
しかし、このようなレストランでの演奏は、あくまでも事務的なものであって、
本人の芸術ではありません。
一生レストランで弾いて終わるか、自分の個性を育てる努力をするか・・・、
どちらを選ぶかで、その音楽家の力量が決まってしまいます。
つまり、一流の音楽家というのは、レストランで弾いて、
自分の人生を終わらせるなんてことは、しないのです。
しかし、才能のある音楽家だからと言って、最初から会社も簡単にお金を出しません。
そこで才能のある音楽家は、個人の力で会場を借り、会場費を払って
リサイタルを行う・・・という一見、趣味のような事をするわけですが、
これが気軽に出来るかといえば、決してそうではありません。
お金、人、実力、知恵・・・色々と要求されると思います。
しかし、それだけ出来るようになれば、利益に値するものが必ず生まれるのです。
「合格したら、仕事に繋がるのか?」という疑問を持っている応募者の方、
仕事とは連鎖反応で拡がるもの、ということを覚えておいてください。
物事と物事を関係させないと、新しい物は生まれません。
活動のないところに、物は生まれず展開もありません。
オーディションの経験をどのように活用し、何に繋げるか・・・
それはあなたの自由な発想にお任せします。
たくさんの方が応募してくださっております。
ありがとうございます。また、お問合せも色々あるようですね。
例えば、「合格したら仕事に繋がるのか?」というようなもの。
少なくとも本オーディションは、会社の就職試験のように、
採用されたら仕事が与えられて、給料が出るというようなものではありません。
そのような決まったギャラが欲しいのであれば、ピアノのあるレストランなどで
時給~円で働くことをお薦めします。
しかし、このようなレストランでの演奏は、あくまでも事務的なものであって、
本人の芸術ではありません。
一生レストランで弾いて終わるか、自分の個性を育てる努力をするか・・・、
どちらを選ぶかで、その音楽家の力量が決まってしまいます。
つまり、一流の音楽家というのは、レストランで弾いて、
自分の人生を終わらせるなんてことは、しないのです。
しかし、才能のある音楽家だからと言って、最初から会社も簡単にお金を出しません。
そこで才能のある音楽家は、個人の力で会場を借り、会場費を払って
リサイタルを行う・・・という一見、趣味のような事をするわけですが、
これが気軽に出来るかといえば、決してそうではありません。
お金、人、実力、知恵・・・色々と要求されると思います。
しかし、それだけ出来るようになれば、利益に値するものが必ず生まれるのです。
「合格したら、仕事に繋がるのか?」という疑問を持っている応募者の方、
仕事とは連鎖反応で拡がるもの、ということを覚えておいてください。
物事と物事を関係させないと、新しい物は生まれません。
活動のないところに、物は生まれず展開もありません。
オーディションの経験をどのように活用し、何に繋げるか・・・
それはあなたの自由な発想にお任せします。
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by 7ewada
| 2010-05-23 13:17
| 音楽
今だから言ってしまいますが、
「なぜ、最初の段階でもっと厳しいピアノの先生に習わなかったのか・・・」
と後悔しています。厳しいというのは、スパルタという意味ではなく、
音楽家、またはピアニストとして厳しいということです。
シカゴの音大に居た時も、これは痛切に感じましたし、
現在、1人でリサイタルを開くまでの本格的な演奏をする段階になって、
また更に思うのです。
「なぜ、あの先生は、もっと中身のある事を教えてくれなかったんだろう・・・」と。
「あの時もっと厳しい先生に教わっていれば、今、私はもっと凄かったはずだ・・・」と。
とは言っても、私は子供ながらにして、最初についたピアノの先生を
1人のセンスあるお姉さんとして、憧れていたところもあったと思います。
ですから、その時はそれで良かったということでしょうか・・・。
しかし今になって、現実的に「弾く」という問題にあたり、
最初の先生は慎重に選ぶべきだと痛切に思っています。
やはりこれは、親が悪かったのかな?
責めるわけではありませんが、そう思います。
ですから、これから自分の子供に習い事をさせる親御さんに
申し上げたいのは、ちょっとした習い事でも、できるだけ、
その道に厳しい先生に習わせるのがいい、ということです。
幼いころに取り巻く環境や先生は、子供の一生に反映します。
例えばピアノだったら、いわゆる「ピアノの先生」に習うより、
「ピアニスト」に習うのがいいでしょう。
「なぜ、最初の段階でもっと厳しいピアノの先生に習わなかったのか・・・」
と後悔しています。厳しいというのは、スパルタという意味ではなく、
音楽家、またはピアニストとして厳しいということです。
シカゴの音大に居た時も、これは痛切に感じましたし、
現在、1人でリサイタルを開くまでの本格的な演奏をする段階になって、
また更に思うのです。
「なぜ、あの先生は、もっと中身のある事を教えてくれなかったんだろう・・・」と。
「あの時もっと厳しい先生に教わっていれば、今、私はもっと凄かったはずだ・・・」と。
とは言っても、私は子供ながらにして、最初についたピアノの先生を
1人のセンスあるお姉さんとして、憧れていたところもあったと思います。
ですから、その時はそれで良かったということでしょうか・・・。
しかし今になって、現実的に「弾く」という問題にあたり、
最初の先生は慎重に選ぶべきだと痛切に思っています。
やはりこれは、親が悪かったのかな?
責めるわけではありませんが、そう思います。
ですから、これから自分の子供に習い事をさせる親御さんに
申し上げたいのは、ちょっとした習い事でも、できるだけ、
その道に厳しい先生に習わせるのがいい、ということです。
幼いころに取り巻く環境や先生は、子供の一生に反映します。
例えばピアノだったら、いわゆる「ピアノの先生」に習うより、
「ピアニスト」に習うのがいいでしょう。
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by 7ewada
| 2010-05-03 20:18
| 音楽
時々、「作曲ってどうやるの?教えてよ」と言われることがあります。
質問者は、普通の気持ちで質問しているのでしょうが、
私にはこの質問が一瞬、とても滑稽に思えます。
何故ならそれは、「人を好きになるのって、どうやればいいの?」と、
聞かれてるのと同じようなものに感じるからです。
私にとっての作曲は、自然体のものに過ぎないということ。
マニュアルや教科書の理論は一切排除して、自分の感覚でやっているので、
なぜ、こんなことができるのか、私が教えて欲しいくらいです。
まあ、自然体と言っても、現実的に曲を仕上げるまでには、
自分がどっちの方向の音へ行きたいのか、
探求する作業に色々と意識を使いますが。
ですから、本当に私から作曲を教わりたいのであれば、
私と寝食を共にして生活に触れてもらい、一体どんな生活をしたら、
作曲のできる頭脳になるのか・・・知ってもらう必要があると思います。
月に3回、1回40分のレッスン程度では、何も教えられません。
質問者は、普通の気持ちで質問しているのでしょうが、
私にはこの質問が一瞬、とても滑稽に思えます。
何故ならそれは、「人を好きになるのって、どうやればいいの?」と、
聞かれてるのと同じようなものに感じるからです。
私にとっての作曲は、自然体のものに過ぎないということ。
マニュアルや教科書の理論は一切排除して、自分の感覚でやっているので、
なぜ、こんなことができるのか、私が教えて欲しいくらいです。
まあ、自然体と言っても、現実的に曲を仕上げるまでには、
自分がどっちの方向の音へ行きたいのか、
探求する作業に色々と意識を使いますが。
ですから、本当に私から作曲を教わりたいのであれば、
私と寝食を共にして生活に触れてもらい、一体どんな生活をしたら、
作曲のできる頭脳になるのか・・・知ってもらう必要があると思います。
月に3回、1回40分のレッスン程度では、何も教えられません。
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by 7ewada
| 2010-05-02 14:10
| 音楽
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